友人に会いに、バンクーバーに行ってきました。
予想以上に留学っぽい感じのスケジュールで、全く英語を勉強せずに短期留学に来ちゃった人みたいになってしまったところもありちょっと悔いが残ってます😅
ノースバンクーバーという自然豊かな街で、人、文化に触れる中、ピアノの先生として、そして一人の人間として
「私が本当に大切にしたいことって何だろう?」という問いと、静かに向き合う時間になりました。
その旅で得た気づきを書いてみようと思います。
【自由であることが、学びをのびやかにする】
バンクーバーの街では、人それぞれが本当に“自分らしく”生きていました。
服装も表情も、バラバラ。でも、それがとても自然で心地よかった。どうみても日本人の私が歩いてても、じろじろ見られたりすることは全くなかった。オーストリアに行った時は、結構見られてる感覚があったので、かなり違うなと思いました。
ピアノ指導においても、
「この子はこう弾くべき」じゃなくて、「この子の音、この子の表現」をまず受け止める。
比べるのではなく、本人の中にあるものを引き出していく。
そんな指導を、これからも大事にしていきたいと改めて思いました。
【“何もしない時間”の大切さ】
森の中を散歩していたとき、
ふと「この感覚を、子どもたちにも届けたい」と思いました。
ピアノって、練習!努力!テクニック!…と詰め込みがちだけど、
本当は「何もしていないような時間」の中に、音楽の芽が育つこともある。
焦らせず、急がせず、
静かな心で音と向き合えるような時間を、教室でも大事にしたい。
そんなことを、強く感じました。
努力!根性!忍耐!!みたいなのはスパイスと一緒で、たまには必要だけど常に必要じゃないと、頭では分かってるんだけど中々難しいです…
【言葉が通じなくても、想いはちゃんと伝わる】
英語が全然できない私でも、深く心が通じ合えたなと思える瞬間がありました。
言語がわからないからこそ、雰囲気や空気をいつも以上に読み取っていたのかもしれません。
もしかしたら私の「わからないけど理解しよう!!」という熱意が相手に伝わっていた可能性もあります。
言葉は表現の上では大切だけど、言葉だけでは伝わらないものも沢山あると思ってます。
言葉にするとなんかすごく薄っぺらくなっちゃうなあと思うことも多いです。
“言葉の奥にある気持ち”を感じ取る力が大事だなと改めて思いました。
技術や知識だけじゃなくて、
「この子はどんな気持ちで弾いているのかな?」という感覚を大切にして、
心と音の両方に寄り添っていきたいです。
【おわりに】
旅は一時のことかもしれませんが、
あの時間に感じたことは、これからの教室づくりや子どもたちとの関わり方にずっと生きていくと思います。
私は「ピアノを教える」というよりも、
「その子の人生と音楽を育てる」ような関わりをしていきたい。
バンクーバーでそれを再確認できたこと、本当に良い経験になりました。