「個性的だね」って言葉、褒め言葉のようで、少し棘があるように感じることがある。
この前、親友の勤めている教室の発表会を聴きに行った。
代表の先生が担当している“ピアノ専門コース”の部を聴いたとき、
どの子の演奏も本当に素晴らしくて、それぞれが自分の音をしっかり持っていた。
親友は「この先生の生徒はすごく個性的じゃない?」と言っていたけれど、 私はそうは感じなかった。 それぞれのやりたいことが明確に感じられて、すごく真剣に向き合ってるんだろうなあと思った。
そのときふと、「個性的って何なんだろう」と考えた。
“個性的”という言葉を、私はこれまで「変わっている」「型にはまらない」
という意味で受け取ってきた。
だから自分がそう言われると、少し身構えてしまう。
「普通じゃない」と言われているような気がして。
でも、音楽は本来“個性的であること”を求められる世界でもある。
ただ、私の中ではそれは「奇抜さ」ではなく「自然さ」なんだと思う。
自分の中にある感情や考え方と、音の出方が一致している状態。
それが“その人らしい演奏”であり、結果として“個性的”なのかもしれない。
今の私は、自分の演奏にすごく迷っている。
昔よりも人間的にはずっと自由になったのに、
音楽の中ではまだ制限があって、
「もっと自由に弾きたい」と思っても、
どこかでブレーキをかけてしまう。
そのブレーキがどこから来るのか、自分でもまだわからない。
でも、この迷いも含めて今の自分なんだと思う。
迷っている自分ごと受け入れることが、 今の自分の課題だというのは頭ではわかってる….。
私は生徒たちには、自分らしく表現してほしいと思っている。
それぞれが自分の考えで音を選び、自分の責任で表現できるように。
私はそのための“大きな柵”のような存在でありたい。
自由に走り回れる広い場所を守りながら、
でもどこまでも落ちてしまわないように、
必要なところでだけ支えられるような存在に。
「個性的であること」は特別なことじゃない。
それは、“自分で選んで表現すること”だと思う。
そして私も今、その過程の中にいる。
迷いながら、探しながら、少しずつ“自分の表現”を取り戻していく途中にいると感じている。